東海科学機器協会の会報

No.369 2019 新年号

かきゃあ あんたも ソウルフードって

ヤマト科学㈱ 正本 和伸

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人それぞれソウルフードって感じる食べ物があると思いますが、あなたのそれって何?私にとっては讃岐うどん。幼少の頃から食べ続けたからか、どこにでもある手軽で安価な外食であり、3食たべても飽きることが無い。

 讃岐うどんの歴史は、讃岐が生んだ弘法大師空海が、遠く中国から持ち帰ったのが始まりと伝えられています。空海は延暦804年31歳の時入唐。1年あまり長安に滞在して806年帰国した。そのとき、持ち帰ったのが「うどん製法」「小麦」「唐菓子」のいずれかであったと言われているようだ。また、1712年ごろ「和漢三才図絵」という当時の百科事典があり、ここに「諸国皆有之 而讃州丸亀之産為之上 為饅頭色白」(諸国に皆これがあるが、讃岐丸亀の産を上とする 饅頭として色白し)とあり、上質の麦の産地であったことが分かります。

 讃岐の地で盛んに「うどん」が作られたのは、上記のように昔から上質の小麦が生産されたこと、品質のよい「いりこ」が多く取れたこと、古代から塩の産地であり製塩が盛んであったこと、また小豆島は江戸時代から有数の醤油生産地であったことなど「うどん」作りに適した地であり、農家で代々受け継がれ磨かれてきたうどん打ちの技術があったためと思われます。

 もう一つ忘れてはならない事があると思います。讃岐地方は小作地が多く、それに加えて降雨量が少なく度々かんばつに悩まされ、水田で作られる米の安定的な生産が出来ない土地であった。そのため米は贅沢品であり代用食として麦で作った「うどん」は欠くべからざるものであった。そんな生活の中で必死に麦を作り、「うどん作りの技術」を伝え・磨いてきたのが「さぬきうどん」の源流であったともいえます。

 最近でこそ、讃岐うどんブームが謳われ、いろいろなチェーン店が増えてきているが、その昔は、個人経営の店が大半を占め、店それぞれのシステムが店側の都合で形成されていたようだ。セルフシステムもその一つと思われる。家族経営の少人数で店舗を運営する為、客が各自で対処する。麺を温める、出汁を掛ける、薬味や天ぷらを乗せるなど。場合によっては、ネギを店の畑から採って各自で刻む、お代は、自己申告でカゴに入れる、という怪しい店も。

 店舗スタイルも、店員がオーダーを取るタイプ、セルフスタイルのタイプ、製麺所の横に食事ができるスペースがあるタイプ等がある。中でもセルフスタイルのチェーン店は、数多くの店が出来ては消えを繰り返しています。

 味にうるさい讃岐人は、立地条件に関わらず、美味い店には行列を作ります。うどんの打ち方、寝かし時間、気候、小麦粉の種類によっても微妙に食感が変わり、また出汁も店舗ごとに微妙に違い、その分楽しめます。

 旅行や仕事などで香川に行かれる機会があれば、うどん巡礼などいかがでしょうか?讃岐うどん店の攻略本なる書籍も出版されています。